平成28年4月十三会例会

●例 会 内 容

  日 時:2016年4月13日(水)PM7:30    会場:コルテーヌ


●講 演

鹿児島の改革

●講 師
みたぞの さとし氏(鹿児島県知事選挙立候補者)
【プロフィール】
1958年、指宿市生まれ。80年、早稲田大卒業、テレビ朝日へ入社。政治記者に。総理官邸、自民党、外務、防衛、大蔵各省庁のキャップを務め、90年頃からは「ニュースステーション」の政治担当キャスターとして政治・政局動向の解説に当たる。また、この間、中曽根康弘総理から小泉純一郎総理までの歴代総理の主要国先進国会議(サミット)などに同行するなど、内閣・与野党要人との数多くの海外同行取材歴を持つ。16人の総理を取材。


講 演 内 容

今月は7月の鹿児島県知事選立候補予定者のみたぞの先生をお迎えしての講演でした。約1時間の講演があっという間に感じられたほど、今度の知事選にかける想いを熱く語ってくださいました。「総務部長」ではなく「営業部長」「企画部長」である知事を、「組織」ではなく「民意」の選挙…政治について他人事と考えるのではなく、これからの鹿児島を変えていくのは私たち1人1人であることを改めて思い知らされた講演となりました。

●鹿児島を何とかしたい!
 私は指宿の出身で大学から東京に行き、卒業後はテレビ朝日の政治記者として35年間、永田町を見てきました。安倍首相とも電話で話せますし、政財界に大勢の友人、知人がいます。外から見ていると鹿児島のことがよく見えてきます。東京から鹿児島を見ていると「今のままの鹿児島で本当に大丈夫なのか?」と感じることが年々強くなってきました。同じような想いを持っている関東の県人会の方が大勢いました。今回、県知事選に立候補しようと思ったのは、「故郷・鹿児島の現状を何とかしたい」という一心です。
 例えば「宮崎牛」や「宮崎マンゴー」は同じ牛肉やマンゴーでも、鹿児島産よりはるかに高い値段で売れています。東国原知事から始まって今の知事まで、宮崎は知事が率先して全国を走り回り、宮崎産のものをトップセールスして「宮崎ブランド」を確立したからです。
 これまで鹿児島県の知事は官僚出身の天下りでした。私は民間の発想を持った知事がそろそろ出てこなければならないと考えています。
 35年間、永田町を見てきたので、官僚の友人も大勢います。優秀な人もたくさん知っています。しかし官僚は前例のないことはできません。決断したり、責任をとることができない。前例通りやっていれば、先細っていくのは民間では当たり前のこと。鹿児島もそろそろ民間の発想で新しいことにチャレンジするリーダーが必要ではないでしょうか。
 立候補をしようと考えてから決断するまで1カ月近く悩みました。相談した友人の多くに「やめろ」と言われました。それでもこのままでは、鹿児島がダメになるという危機感がありました。ある調査で全国の知事ランキングで鹿児島は最下位。今、やらなければダメだという気持ちで立候補を決めました。郷土の偉人・西郷隆盛は「金も要らず、名も要らず、命をかけて世のため、人のために尽くせ」と説いています。そんな心境で今選挙運動に取り組んでいます。

●宝の島=鹿児島
 知事として私が真っ先にやりたいのは、鹿児島のトップセールスをすることです。「鹿児島ブランド」と呼べるものを、ありとあらゆる手段を使って、日本だけでなく、世界中に発信していきたい。何もなければ話は別ですが、鹿児島にはそれだけのものが眠っている。「良いものいっぱい。宝の島・鹿児島」が私のキャッチフレーズです。今、これらをどう売り出していくか、商社の友人に頼んでマーケティングをしてもらっています。
 鹿児島の基幹産業は農畜産業です。しかし、今、県内の農畜産業従事者の平均年齢は6−70歳まで上がっています。年間2、300件が廃業しているという話も聞きます。今後利益を上げられるかどうか、不安を抱いている方が多いのです。これで5年先、10年先も日本一が保てるでしょうか?
 これからの農業を発展させるカギは、近代化、株式会社化だと考えます。会社化して給料を出せるようにする。農家の人も名刺を人に渡せるようになると、仕事としての魅力が広がってきます。
 観光もこれからの鹿児島にとっては大事な産業です。
 昨年、鹿児島県を訪れた人の数が4%増えたことで喜んでいた人たちがいましたが、全国平均は8%伸びているのです。よそには12%増えたところもあるというのに、むしろなぜ全国平均に届かなかったかを分析し、増やす努力をしなければならない。
 人が集まりたくなるような街をいかにして作っていくか。「港町」というのは人を呼び込む魅力があり、鹿児島にもその要素はあるのに、それを活かし切れていない。シドニーのような夜になるとライトアップされて、多くの人が集まってにぎわうような街づくりを考えています。
 教育問題も私が取り組みたい政治課題の一つです。子供の貧困問題を何とか解決したい。親の収入格差が学歴の差になるような社会ではダメです。教育は平等に受けられる施策に取り組んでいきたいです。
 ある大学で約200人の学生を前に話をしました。「夢のある人、手を挙げて!」と尋ねたら、ほとんど手が挙がりません。「どうせ○○だから」と冷めている若者が多い。若者たちが夢と希望を描ける社会を作ることが政治の仕事です。
 鹿児島に生まれ育って良かったと思えるような鹿児島を皆さんと作っていきたいです。

●知事は「営業部長」「企画部長」
 鹿児島の知事は過去、3期以上はやらないという不文律がありました。12年以上やると、なれ合いが生じ、トップに対するイエスマンしか出世しない独裁になってしまう弊害があるからだと思います。
 官僚出身の知事はいわば「総務部長」です。私がこれから目指す知事は「営業部長」であり「企画部長」です。今までの知事は県外のセールスでもただ外に出てあいさつすれば終わりでしたが、これからは結果を出してくるまでは帰らない。民間であれば当たり前のトップセールスをやります。
 あらゆる課題に、行政、民間、そして県民と一緒になって取り組んでいく。そのリーダーに私はなりたい。「リーダーシップ」と「独裁」は違います。4年経って結果が出なければ、選挙で落とせばいい。そのリーダーを選ぶのは県民の皆さん1人1人です。それが民主主義です。皆さん1人1人の力を合わせて新しい鹿児島を作っていきましょう。

 Q 立候補に当たっていろんな方が反対されたそうですが、その中でも背中を押してくれたのはどんな人の言葉でしたか?

 2つの決め手がありました。いろんな人が反対した中で「君がやるなら何でも協力する」と言ってくれた人がいました。
そして、最後は家族、妻の言葉が決め手でした。真っ先に反対したのも妻です。テレビ朝日に勤め、間もなく定年で、その後もコメンテーターや大学教授などそれなりに生活に困らない生活はできるのですから当然です。それでも「あなたは自分のためでなく、鹿児島を本当に良くしたいんでしょう?」と聞かれて「そうだ」と答えると、妻は応援してくれました。妻は山口県の出身です。奇しくも今年は「薩長同盟」成立から150周年の年。そんなところにも何か因縁を感じています(笑)。

Q 鹿児島で選挙というと「組織」が大事といわれます。そこはどのようにお考えですか?

私も立候補を考えて、いろんな人に話をして「どこの組織が応援するのか?」と言う人が大勢いてウンザリしました。そういう発想こそ変えなければならないと考えています。組織よりも大事なのは「民意」です。日本でも熊本までは民意が結果につながる選挙が来ています。鹿児島もそうならなければなりません。「組織」は後からついてくるものです。

Q 鹿児島のスポーツ行政についてはどのようなお考えを持っていますか?

まだ公にはしていませんが、スポーツにも取り組んでいきたいと考えています。私も指宿高校時代は野球をしていて、その頃は指宿にプロ野球チームがキャンプに来ていて、ワクワクしながら見ていました。今、鹿児島ユナイテッドがJリーグに上がり、これから鹿児島もスポーツに積極的に取り組む必要があると思います。
私が知事になれば目安箱を設置します。いろんなアイディアが県民の皆さんの中にあると思うので、それを私のところに届けてください。