九州ミャンマー友好協会鹿児島支部 副支部長である吉田雅司 氏
をお迎えして以下内容にてご講演いただきました。
ミャンマーとの関わり
- 日本口唇口蓋裂協会(JCPF)の医療救助隊として1995年より
毎年診療手術並びに現地スタッフへ技術移転を行っている。
- 口唇口蓋裂は本来2歳くらいまでに手術を行うものだが、
ミャンマーでは10歳を過ぎても未施療の患者がたくさんいる状況。 この十数年の活動でだいぶ改善されてきた。
- 初めてミャンマーを訪れた頃は、施設・設備・部材等も劣悪な状況
不完全な麻酔用ガス排出、器具は煮沸消毒、手袋も洗って再利用等
- そうした状況改善のため医療器具(手術道具)を送る寄付活動なども実施した。
現在は物資入手状況も大きく改善されている。
ミャンマーへの旅路
- 日本とは気候もだいぶ異なる。
6月〜9月は雨季なのでそれ以外の季節に訪れるのがベター。
- 入国にはビザが必要。ヤンゴン国際空港より国内線に乗り換え。
- 昔は国内線は国営1社、民営1社のみだったが、現在は民営だけで7社とバブル状態。
搭乗を呼びかけるスタッフのマークをよく見ていないと取り残されるかも。
- ヤンゴンからマンダレーへ空路にて1時間。
ヤンゴンは湿潤な風土だがマンダレーは砂漠に近く大きく気候が変わる。
- マンダレーからサガインへ陸路にて移動。
サガインは多数の寺院がある町。 インパール作戦にて亡くなった日本人鎮魂のための寺院もある。
- ちなみに寺院では裸足なので。草履と足を拭くためのウェットティッシュの用意が必須
- 寺院が運営している病院にて支援を行っている。
急遽依頼を受け大学で講義もしたが、皆知識欲旺盛で熱心に聴講してくれた。 ミャンマーは元英領だったこともあり、インテリ層は英語が通じる。
- 毎朝多数の僧侶が托鉢のために行列を作り、喜捨を行う風景が見られる。
ミャンマーの今
- ヤンゴンは車だらけ。2年前から車の輸入が解禁され日本の中古車が大量に流通している。
ETC等の装備も日本のものがついたままで日本語の音声が流れる。
- ゴルフも安価でできる(外国人価格でも20ドル)。
道具も借りれるがシューズだけは自前で用意を推奨
- 知人のビジネスマンは自動車販売、ゴルフショップ経営等多角経営にて成功。
奥さんもコスメ店経営で成功。
- 食事は中華料理がベース。安くてうまい店が多い。YKKOヌードル(米麺)がおすすめ。
- 飲茶も安くてうまい。日本でのセイロ1つ分の値段で十数個のセイロが食せる。
- 果実も豊富で宿坊の朝食では必ずまるごと1つついていた。
- 国内線では1時間程度のフライトでも必ず機内食が出る。
ミャンマーとの交流
- 子どもたちに野球シューズを届けた縁で、ナショナルチーム来日時には鹿児島に招待した。
マウスガードの提供や志学館、れいめい高校との親善試合を開催。 様々な寄付などの支援もいただいたが、自宅にて15人受け入れたので大変
- 友好協会の活動として2012年6月には鹿児島にて駐日大使を招いたビジネスセミナーも開催
- 現在現地に歯科学校を作るための取り組みを行っており、
先日ヤンゴン市役所や日本大使館等も訪問
ミャンマーのこれから
- ビジネスの足がかりとしてはJICAやJETRO等の政府機関から援助を得られると大きい。
補助金の申請などまずは相談を。
- ヤンゴンにはマスコミ始め日本の会社の出先もどんどん増えている。
- 現地の人の多くはまだまだのんびりした方が多いが、ビジネスに目覚めた人も増えてきている。
- 日本でいえば昭和30年台。素朴さ、表情の明るさ等これからの成長を感じさせる。
毎年行くたびに大きく変化している。
質疑
- Q:衛生士とか技工士はどんな状況?衛生状態も良くない様子だが問題は?
A:看護師が衛生士の枠割を果たしている。技工士は実質的には世襲制 元々そうした衛生環境で育った人は胃腸にしても免疫にしても非常に頑健。 逆に今の日本人はひ弱すぎて心配になる。
- Q:教育への取組状況はどうか?
A:民主化によりより広くチャンスが与えられるようになった。 今まで不自由だったこともあり教育に対する渇望は強い。今後の成長が強く想起される。
- Q:保健制度はどうなっているのか?
A:保健制度はなく原則自腹となる。 寺院運営の病院では手術に関しては請求していないが、処方薬等はすべて自費 貧富の差は激しく儲けている医者もたくさんいるのが現状。
- Q:口唇口蓋裂症って国によって発症率が違うか?
A:人種によって異なる。黄色人種の場合500人に1人。 適切な手術法も人種により異なり、白人向けの施術では傷跡が大きくなる。
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