平成23年10月十三会例会

●例 会 内 容

日時

2011年10月13日(木曜日)PM7:30

講演

演題:
「東日本大震災「災害ボランティア」に参加して」

講師:永盛 義明 氏
      薩摩川内がらっぱ共和国 大統領補佐官

講師近影
●内容
以下のような内容にてご講演いただきました。

冒頭、がらっぱ踊りの衣装にて登場!!

5月に福島で災害ボランティアに参加してこられ、
その様子を多くの方に伝えることも現地を見てきたものの使命として
今月3回目の講演とのことでした。

ボランティアを始めたきっかけ
  • 阪神淡路大震災当時 電力総連 九州ブロック事務局長
  • 総連本部の指示を受け神戸入りし、初のボランティア参加
  • 惨状を目にし、とにかく人を送り込もう、電力会社として手伝えることがあるはずと感じた。
  • 地元電力会社や地元土建会社から物資等の提供を受け活動開始
  • 当時はボランティアのための手順も確立されておらず手探り状態
  • できることを探すべく避難所の様子を確認
  • 色々な規模の避難所があり、行政の手が届かない個人避難所を中心に支援することに
  • 個々人が想いだけで現地入りし、機動力のないボランティアも多数
阪神淡路大震災ボランティアで見たこと・感じたこと
  • 避難所にも格差があり、物資が豊富な避難所の被災者ほど要求がエスカレートする傾向があった。
  • 損壊家屋にブルーシートだけでもかけて欲しいとの要望を受けるも現場の足場が悪い立地で断念
    =>ボランティア側が怪我をしては元も子もない
  • 貸与されていた寝具の返却を求められ困窮していた被災者の要望を受けマット・毛布を調達・提供
    =>たまたま出会った個人ボランティアにも提供を申し出たが被災者に申し訳ないと固辞
  • ガスの供給が無いため被災者がカセットガスボンベを要求するも災害対策本部から備蓄提供を拒否される
    =>より緊急度の高い自体に備えての物資で出せないと言われ東京から取り寄せ
  • 神戸は大変な被害状況なのに電車で20分の梅田の繁華街は通常の喧騒を保っていることに理不尽を感じた
  • ボランティアスタッフの側の気持ちも複雑。寒空の中の避難生活にある被災者を思うと自分たちが入浴することをやましく感じる。
    =>でも十分に支援するためには自分たちの体を健やかに保つ必要がある。
  • すべてを助けることはできない。平等とか公平とか考え始めると動けなくなる。できることをやるしかない。
  • 給水車による配給が開始されていたが、年配者が自宅まで運ぶのに困窮しているとの事例報告
  • 給水支援作成を開始。マップの作成、ポリタンク確保、マンション上層階にも運ぼう
  • 当初民間ボランティは水源地に入れてもらえず。苦情を上げて改善してもらった。
  • 救援物資は何でも送ればよいわけではない。新品を種類別に分けて梱包していなければ使えない。
  • 被災者の「ほんまよかった、おおきに」という言葉にどんな苦労も報われたと感じた。
  • この神戸がきっかけでボランティアの組織化や手順のマニュアル化が進められた。
  • 個人的にはこの時をきっかけに地域振興や認知症のサポート活動など様々な活動に取り組んでいる。
東日本大震災へのボランティア参加
  • 震災発生当日、TVで見て大きな被害となることを直感し助けに行きたいと感じた。
  • 東北の知人に連絡がついたのは3日後、神戸からの付き合いの仲間とも連絡をとり支援手段を模索
  • 連合がボランティア募集をしていることがわかり応募
  • 連合では支援が長期化することを想定し、9月までは途切れることなくボランティを送り込むことにしており、第7陣として5月に参加することが決定
  • 5月17日に九州から15名のチームで出立、18日〜15日の間、南相馬市・新知町で活動
  • 宿泊は福島市内の会議室で雑魚寝。40名の合宿で22時半消灯、6時半起床の生活
  • 被災地までの移動は車で1時間半。気持ちが逸り毎日出発時間が早くなっていった。
  • 倒壊したブロック、落下した瓦の撤去、瓦礫・荷物の搬出、側溝の浚渫等を担当
  • 梅雨になる前に側溝の泥だしをというニーズは多いが、詰まっているのは泥だけでなく瓦やガラス片。
  • 個人所有の農事用溜池の瓦礫撤去も依頼を受けたが困難を極めた。
    担当作業はボランティアセンターが割り振り(マッチング)を行うが、我々のチームを新信頼しての依頼に答えた。
    安全最優先で胴長を着てドブ泥の中で作業を進め何とか無事に完遂
  • 作業は余震、津波、粉塵、異臭、暑さとの戦い。
    知識・情報・装備等色々な備えが必要
  • 現地で見ていてやはり自衛隊はすごい組織だということを実感した。
  • 被災地の中で芽吹く花々、生き残った家畜、残されたたくさんの写真を見て胸に迫るものがあった。
現地で見聞きした現実
  • ある避難所での悲劇
    • 水に濡れ、吹雪の天候に凍える人を見て、被災家屋からタオルを持ちだしてきた人がいた。
    • 避難者の中にそのタオルの持ち主がおり、勝手に持ちだしたことを避難
    • タオルを持ちだしてきた人はその避難所から姿を消した。
    • 良かれと思ってしたことでも、非難されてしまうこともある。(やり方を考えないと)
  • 生死の分かれ目
    • 今回生死を分けたのはなんといっても津波
    • 対策がたりない。甘く見ていた人もたくさんいた。
  • ボランティアセンターの運営の硬直
    • ボランティアセンターは運営マニュアルが定められており、自治体毎に設置されている。
    • 運営主体は役場の職員のため硬直した対応が多い。
    • ボランティア参加者は早い時間からボラセンに来ているが定刻にならないとマッチングが始まらない。
    • あるボラセンでは早く来たボランティア参加者同士でマッチングのための整理が行われていた。
  • マッチング作業は臨機応変な仕切りが大事
    • ボランティア参加者は時間的な問題や体力的な問題から可能な作業範囲が違う
    • 機械的にマッチングしたり、用具不足を頑張ってだけで済ますといった対応があった。
    • 体力的に不利な方には不足している用具提供の依頼に回ってもらうなど、直接的な支援依頼以外も工夫してマッチングを行うべき
    • マニュアル通りではなくプラスαの工夫が大事
思うこと、これからのこと
  • 東海地震、南海地震、東南海地震が連動して起こる西日本大震災は2035年±15年には起こると予測されている。
  • 太平洋側を中心に大きな被害が起きるため、救援の手はまず大都市優先となる考えられる。
  • 外部からの救いの手は鹿児島は後回しになることは確実であり、まず自らを助け、相互に助けということが絶対必要
  • 家族に支えられ、会社に支えられボランティア活動に携われるのは幸せなこと。
  • 日々を感謝し、相手の立場を想うことが最初の一歩
  • 感謝の言葉を表し、困っているのかなと感じたら「どうしました?}と声をかけることから初めて欲しい。

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